日本の問題:「儒教の亡霊」(男女の愛を阻むもの)
日本には様々な問題が山積していますが、問題の核心は、大きく観れば、「儒教の亡霊」が猛威を振るっているということ(私はこれを常々「儒教の呪縛」と呼んでおります)、これ一つに行き着くと私は思っております。そして、この「儒教の呪縛」は様々な問題の根本的な原因であるにもかかわらず、あまり触れられていません。
また、この儒教は基本的には宗教となんら変わるところがありません。その上、以下のような点で強烈にそのあり方を規定し、決め付け、無数の問題を生み出します。
人生を支えるすべての倫理道徳観念
生き方
政治のあり方(国内・外交姿勢とも)
政治家の意識のあり方
経営者の意識のあり方
その他のリーダーの意識のあり方、リーダーの心構え
組織のあり方
上司と部下の関係
男女関係
親子関係
言語のあり方、言葉遣い
日々の行動様式
個人の思考回路
個人の感情、心、意識のあり方(愛、勇気、信念など)
意識の下の領域、つまり無意識の言動パターン・感情パターン
もちろん、その倫理観念には、正しいものも数多くありますが、問題は、それ以外の考え方を許さないことにあります。そして、この「一方的な決め付け」が、人生のあらゆる局面を息苦しいものにします。
しかも我々の祖父母やそのまた祖父母の世代までも何代も同じように、一人ひとりの意識の深いところから、生まれてから死ぬまでその方法で規定されて生きてきましたので、どこが儒教の長所でどこが短所か分からなくなっています。
結果として儒教の教えるような倫理が正しいこともあるでしょう。例えば、「孝」が大事なのは分かりますが、頭ごなしに親孝行しろ、と言われるよりは納得して心の底から親孝行した方がいいでしょう。国が大事なのも当然ですが、それが上からの押し付けであれば誰も国を愛さなくなるでしょう。しかし、それが「こうしなさい」「こうあるべきだ」と決め付けられれば自分の感情を抑圧しなくてはならなくなります。このような風に人生や心、意識のすみずみまでがんじがらめに規定されて来たのが日本人であるのです。
そして、それが千数百年にわたって日本に蓄積されてきましたので、この代々一方的に正しいと押し付けられてきた倫理が、もはや「抑圧」を通り越して、「呪縛」となり、日本人の心を限界まで縛り上げ、耐えられなくなった人を犯罪や自殺へと走らせ、或いは多くの人に精神疾患をもたらしているのではないでしょうか。
つまり、儒教の倫理観念が、本来は人間の向上を目指していたはずなのに、倫理や価値観を一方的に決め付け、押し付けることによって、どんどん短所となって裏目に出てしまったということだと思います。言い換えれば、この国を形作ってきた儒教倫理そのものの崩壊であり、儒教国家日本の限界に達したということではないでしょうか。
ここまで来ると既に一人ひとりが自分を見つめ直し、自己改革したとしても限界があると思います。あまりにも何世代にもわたって蓄積されてきた問題が大きくなり過ぎて、個人個人の努力で改革できる範囲を超えているように思われます。だからと言ってそのような自己改革が必要ない、と言っているわけではありません。それはそれで必要なのですが、止まらない犯罪や無数の精神疾患の原因を個人の事情にだけ求めては本当には何も解決されませんし、その辺の原因を儒教の面からも考えなければ片手落ちになるということです。
1)儒教の呪縛の根本的な要因とは何か
このような儒教が呪縛となってしまう最大の要因は二つあります。つまり、儒教倫理が土台とする考え方の最大の欠陥は二つあります。
「男尊女卑」
「年功序列至上主義」
私にはこの二つが最大の呪縛となっているように思われます。
この二つには何の正当性もありません。男尊女卑は当然のことですが、年功序列主義も、年の差が「人を尊敬する理由」であるというのはあまりにも説得力に乏しい倫理観念です。
この男尊女卑と年功序列至上主義が日々日本人の心と意識に重圧をかけ続け、無数の災厄を産み出していると思われるのです。
そして、この二つの悪弊がもたらす心の病とその人間類型には以下のようなものがあると思います。
家庭内暴力と暴力的な人やすぐに切れる人
いじめと引き篭り
様々な嗜癖や中毒
独裁的な人や、そこはかとなく偉そうな人
上にはへつらい、下には威張る人
マザコンやその他の対人関係での歪み
人の意見を聴かない頑固な人
極端な発想
清貧の思想
自分にも他人にも謙虚さを要求する人 などなど
これらの精神疾患は、儒教の呪縛がもたらすものであり、日本が男尊女卑と年功序列主義から脱しない限り、社会全体が無意識のうちに、組織的にこれらの疾患を大量生産し続けるのです。
この根本的な事実について今まであまり指摘されていないようなのですが、これ程悲惨にして人の心を不幸にする縛りはないのです。そしてもっともっとこの事を研究すれば多くの日本人が過去から解放され、国中で正常な人間関係が確立され、様々な問題が解決されていくと思います。
2)本来あるべき愛・勇気・幸福などはどのようなものなのか
また、基本的に日本人の感情は、感情そのものが男女差別や義務感で成り立っていますので、「愛」や「勇気」に関しても、日本人が本当の意味で愛し合っているのか、あるいは本来人として必要な勇気があるのかも疑問に思えてきます。
儒教では様々な徳目を教えています(と言うより強要します)。例えば、礼・信・義・孝などですが、「愛」はありません。「仁」や「仁愛」という言葉はありますが、それは「愛」そのものではありません。
「愛」がその教えに入って来ない最大の理由は「男尊女卑」の発想があるからです。女性の存在や女性の愛を真正面から否定しているので「愛」の出番はありません。
その代わりに儒教社会では「恩の押し売り」をします。年長者や社会的立場の強い者、上位の者から下位の者へ、夫から妻へ、親から子へと、順々に「恩」を押し付けていくのです。このようにして国全体が不自然な「恩愛」を押し付け合う人間関係に陥ってきたのです。そして日本人が今最も必要としているのは儒教では教えてこなかった「愛」そのものではないでしょうか。
私は、自分の体験から、「愛は一体感である」と思っていますが、皆さんはどう思われるでしょうか。愛は双方向の対話によってしか生まれませんが、儒教は一方的な要求を押し付けがちですから、なかなかお互いが理解し合うということにはなりません。お互いが理解し合ってこそ愛が生まれると思うのですが、ここに価値を見出していないのです。
3)解決:男女の愛を実らせるために
私は人間の心の中には感情の流れる回路があると考えています。思考回路というと論理的に考える頭の中の回路ですが、それに相当するものが心にもあるのではないかと思うのです。それを感情回路と自分で名付けていますが、その感情回路が儒教などの不自然な圧力、抑圧がかかるといびつになったり、回路そのものが寸断されたりすると考えています。
そして、感情とは、まさに愛そのものですから、感情回路とは愛の流れる回路であるとも言えます。その回路が自分の心の中のあちこちで寸断されていては当然愛も正常に心の中を流れません。それが日本人全体で起こっている現象であるとすれば、日本人全体で感情回路が、愛の回路が寸断されて愛という感情が循環していないと言えるでしょう。
愛と言う感情が夫婦の間で、あるいは親から子、子から孫へ、正常に流れれば、日本人はどんどん儒教の呪縛から解放され、日本には愛が満ちてくると思うのです。
そのためには先ず、儒教によって、一人ひとりの心の中で感情回路のどこがどのように寸断されているのかを見つけ出す必要があると思います。
儒教は倫理道徳の押し付けをするので男女、夫婦間、親子の間で心の通った対話をなくします。あったとしても、それは強い立場にある者から弱い者への一方的な命令口調であったり決め付けでしかありません。
しかし、感情というのは本来、人と人との間を往ったり来たりするものではないでしょうか。またそのような感情のやり取りを愛と呼ぶと思うのです。その感情のやり取りを、対話を通してしていると思うのです。つまり対話とは、人々の愛を乗せて運ぶ感情の流れそのものだと言えます。ですから一方的な話し方は対話とは呼ばないのです。そして一言で言えば、儒教の亡霊、儒教の呪縛が日本人の愛を窒息させているのだということです。
さて、それでは具体的にどのようにして寸断された感情回路を修復し愛を実らせるこができるのか。ご参考までに以下は私自身が実践してきた解決策です。
親から受けた影響(親が祖父母から受けた影響も)を理解し、他人にも話すこと
自分の長所を見つけ出すこと
自分の本当にしたいことを見つけ出すこと
短所を把握し、そのあとは短所についてはあまり考えないようにすること
長所を発揮することに徹すること
これを実践すれば必ずいつの間にか他力の助けが現われてくることを信じること
これを実践するにはかなり客観的に自分を見つめる必要があるのですが、私自身は哲学が好きだったこともあり、かなり徹底して客観的かつ論理的に自分を分析してきましたので、なんとかカウンセリングなどは受けずにここに書いているようなことを一つひとつ発見して来られました。
また、私の経験から言っても、周りの者たちの経験から言っても、これらのことは一日では実践できないと思います。人によっても違うと思いますが、寸断された感情回路を修復するにはかなりの年月がかかるでしょうし、相当客観的な分析が必要になると思います。
すべてを他人のせいにしてもいけませんし、すべてを自分のせいにしてもいけません。そして、本来的に人間は他人と協調し合って生きていますので、問題を作り出すのも自分と他人の半々でしていますし、それを解決するのもまた自分と他人の半々の責任においてする必要があるのです。つまり、問題の原因はどこにあり、どこまでが自分の責任で、どこまでが他人(親など)の責任なのか、それを客観的に、自分の感情を抜きにして見つめる必要があるのです。
そして、この上に挙げたいくつかのポイントの中で最も肝心なのは次の点です。
「長所を発揮することに徹すること」
短所については一度把握できたらあとはあまり考える必要はありません。なぜなら、長所でさえも相手やタイミングによっては短所になってしまいますし、過去を見つめてもマイナスのことばかり噴き出してしまい、心の中が暗い雲で覆いつくされてしまうからです。それよりも、長所を見つけ、これを伸ばしていくことを徹底的にしていった方が好いのです。
長所が分からなければ「自分は心底何をしたいのか」を問い続けてみて下さい。つまり、
「長所=自分が心底したいこと」
と思っておいて大体間違いはないと思います。
自分の最もしたいことは自分の性格に最も合ったものです。長所が見つからなければ自分の中で最もしたいことを探せば好いのです。
そして、
「自分の心底したいこと=自分の存在意義」
でもあります。
繰り返しますが、自分の魂の受けた傷やダメージについてはあまり見ない方が好いのです。なぜなら、愛は過去の中には実りませんし、未来は進むことの中にしか開けないからです。ですから、後ろを振り返りたくなったら、その時は自分で自分に「進め!」と掛け声をかけて後ろを振り返らずにどんどん前へ進んだ方が好いのです。そうして前へ前へと進んでいるうちに、いつの間にか、呪縛が一つひとつ切れ、自分の足りないところ(短所)を補ってくれる他力の助けが必ず色々な形で現れてきます。そして自分を取り巻く環境が確実に好転し、必ず奇跡が起きます。これが最も確実に奇跡を起こす方法です。
男女各々がそのような努力をすれば、最終的に必ず男女の間で愛が実ります。男女の愛がなければ夫婦にもなれませんし、子供もできません。つまり、男女の愛がすべての愛の基本であり、出発点ですし、これさえ実れば男女の間で一体感が生まれ、人生は大きく好転するのです。もちろん国中に堆積するあらゆる問題も連鎖的にどんどん解決されて行くでしょう。
言い換えれば男女の愛こそが国の問題を解決するあらゆる対策のうちで最強にして最も美しいものであると言えるのです。従って、美しく愛し合える男女が増えれば増えるほど日本人一人ひとりの人生が大きく好転していくのです。これが儒教の呪縛から日本人を解放し、日本のあらゆる問題を解決する最善の方法だと思います。
さて、私自身は以上のような考え方で周りの人の助けもあって苦境を脱出してきましたが、みなさんは如何でしょうか?
日本はこれからしばらくの間、ますます世相が悪くなると思われますが、日本人の心を縛り、愛を窒息させるこの根本的な原因について、みんなが考えれば考えるほどその縛りから解放され、新しい希望が見えてくると思います。
このホームページがその為のきかっけになれば幸いです。
尚、ご意見などがありましたら下記のアドレスまでお送り下さい。
中山晋隆
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